killarahanakoのブログ

43歳からはじめた不妊治療!47歳8か月で出産した超高齢ママ。愛犬ハナコのこと、日々の生活を不妊治療当時を振返りながら綴っています。

お久しぶりです

 

 

随分とサボってしまいました。

 

書きたい事、色々あってメモをするも

ドタバタになり、書き留めたものも

何だか色褪せちゃってそのまま。

 

そんな毎日です。

 

今日、やっぱり書いておきたい事。

 

有名人の訃報に接し、少し落ち込んでいます。

 

お金出してある程度高度な治療をしていただろうに…

 

私はいくつまで生きられるのか。

ベビーくん、3歳になりましたが、

この子が40歳になるまでは生きてきたいなぁ

などと勝手なことを思うのです。

 

ベビーくんが40歳の時には私は88歳です。

その時まで認知症にならずに、健康で生きていられたらなぁ

などとまた勝手な事を思います。

 

私、只今51歳。

私の母が78歳。

 

母は耳が遠くなり、いつも不調を訴えている。

でも、疾患がある訳でもなく、元気です。

 

だいぶボケできていて、老人特有の頑固さが出てきて

少し手を焼いています。

 

この母を見て思う事。

私と母は似ていないけど、こんな風に歳を取るかもしれない。

だとすると、ベビーくんには迷惑かけちゃうな。

 

と、すると、迷惑かけないようにするには

やっぱり、稼がなきゃ!

財産を残せるようにしなくちゃ!

 

という事で、高齢ママは仕事のモチベーションを

保てる訳です。

 

頑張ろー。

 

本日、移動中の電車の中吊り広告。

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ちょっと、ドキっとしました。

不妊治療の広告が出てるなんて時代も変わったなぁ。

などと思う今日この頃です。

 

 

 

2022年ブログ始め(不妊治療との戦いの次は更年期症状との戦いか⁉)

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飛行機雲発見!

2022年、スタートしました。

本日より、始動です。

 

と言っても、仕事はほとんどないので、書類の整理をしつつ、ブログを書いています。

 

11月に50歳を迎え、健康をより一層、意識しています。

12月に入り、乳がんの経過確認のための組織検査をしました。

 

妊娠後、授乳中と検査が受けられず、昨年春にほぼ、二年ぶり乳がん検診が受けられました。

一応、”授乳中”という立場ではありましたが、子供が2歳になるという事でOKでした。

マンモグラフィーを受けたところ、アラアラ、、あまり出ないと思っていたおっぱいが

ぴゅーっと出てしまい、申し訳なかったです。

ベビー君、精神安定剤としてのおっぱいだと思っていましたが、やっぱり出ていた(飲んでいた)んですねぇ。

母体の神秘… と感心している場合ではありません。ご迷惑をおかけしました🙇

 

この時の検査でやはり「要精密検査」となり、指定の乳腺科を受診することになりました。

そうです、やはり、、なのです。

もう何年も毎回引っ掛かり、再検査しているのでわかっていました。

かつてのしこりは石灰化して居座っているので、絶対引っかかる。

これでスルーする検査機関があったらヤバイのかもしてません。

 

再検査の際、2008年に石灰化したことなど検査の結果をもっていったものの、今回はこれまでのものとは違ったようです。

 

石灰化したのは確かにあるけど、新しいしこりだったのです。

 

そこで、Dr.より組織検査をしましょう、という提案を受け、ぶっとい注射でバチンと大きな音を立てて組織を採取。。

 

部分麻酔を使ったのでその瞬間は痛くいなかったけれど、バチンと耳元で大きな音がしたのはとっても怖かったです。

 

そして、麻酔が切れた後の痛い事、痛い事、、止血止め、ということでガチガチに胸をテーピングされ、その胸が紫色に腫れあがりみるも無残!!

ベビー君、泣きはしなかったけど、絶句していました💦

 

これを、三か月毎に、昨年中3回実施、最後が昨年12/13を最後に、以降は6か月後にしましょう!とDr.に言われなんとなく「卒業」できた気分になりました。

 

ただ、この時、Dr.に、「キララさん、乳がんについては疑いはほぼなくなったけれど、ご年齢的に、これから女性ホルモンが減少していくので色々な不調が出てくると思うので、無理せず、婦人科を受診をしてくださいね。」と言われたのです。

 

すかさず私は「先生、閉経したら楽になるかと思うとちょっと気が楽になります。子供を産むことはもうないから、今日にでも閉経しても私は構わないです!」と答えると、

 

Dr.は、

キララさん、何言っているんですか!! 出産はさておき、女性ホルモンてね、すごい役割を果たしてくれていて、色々な臓器も守ってくれているんですよ!!

 

だから、そんなこと言っちゃダメです!!

 

と怒られました。

 

キララ、50歳にして怒られた、、(笑)

 

なんとなくわかってはいるけど、怒られたのをきかっけに、ちょっとネットで検索。

 

 

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女性ホルモンの働き
https://www.amcare.co.jp/amc_labo/equol/seibun/seibun_002.htmlより

 

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https://www.amcare.co.jp/amc_labo/equol/seibun/seibun_002.htmlより

 

上に表によると、あと数年で「女性ホルモンに守られている期間」なるものが終わるという事か…

 

平均閉経年齢、50.5歳。

 

もうすぐじゃん!!!!

 

さらに、HPを引用しますと、

www.amcare.co.jp

 

 

女性の身体は40歳を過ぎたころから卵巣機能が徐々に衰え、やがて閉経を迎えます。この閉経をはさんだ前後約10年を「更年期」といいます。
この時期になると、卵巣から分泌される女性ホルモンの1つであるエストロゲンが急激に減少し、体の中のホルモンバランスが乱れます。ホルモンバランスが乱れると自律神経の調節が乱れて、ほてり・のぼせ・冷えなど、体にさまざまな不調が現れます。
その症状は実に100種類に及ぶともいわれており、約9割の女性が何らかの不快症状を感じます。種類や強さ、あらわれ方には個人差がありますが、このような更年期のさまざまな不調を「更年期症状」といい、仕事や家事に支障をきたしてしまうほどの重いものを「更年期障害といいます。また、更年期以降もエストロゲンの減少によって女性は骨粗しょう症動脈硬化などのリスクが男性よりも高くなります。食事や睡眠なども含めたトータルでの生活習慣病対策が大切です。

 

閉経の前後10年は更年期⁈

 

って事は今、更年期なんだね!

自覚なしにも程がありますね💦

 

 

症状は100種類???

 

マジですか、、、

 

ちょっとビビってきました。

 

なるほど、Dr.が怒るわけですね。

 

不妊治療との戦いの次は更年期症状との戦いが待っているのか…

高齢出産ママあるあるかもしれませんね。

 

ということで、もっと体の不調には素直に向き合って、辛い時は体を休ませてうまく乗り越えなくては!!

 

と思いを新たにした今日、1月4日でした。

 

皆様、今年も宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

ドラマの様な話(理想の最期)

 

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今日は一段と寒いですね。

冷たい雨、、 

 

我が家のハナコさん、ホットカーペットの上で毛布にくるまっております。
フレンチブルドッグは暑さにも弱いけど、寒さにも弱い💦

 

先週、伯父が亡くなり、葬儀へ参列してきました。

 

母方の伯父で、85歳でした。

この伯父は、本当に温厚で「優しさ」の塊でできている人で

誰からも、悪く言われることがなく、本当に仏のような人です。

 

その伯父が本当に仏様になっちゃった。。。

 

子供の頃の夏休みといえば、母の実家(当時祖母も健在でした)で、従姉妹たちもいて

みんなで一緒にプールへ行ったり、散歩したり、時に伯父の自転車の後ろに乗せてもらって博物館へ行ったり。

 

子どもの頃の思い出イコール、伯父さん一家と過ごした夏休みでした。

 

伯父と最後に会ったのは昨年の年末、コロナを心配しましたが、

「キララちゃんの子供を一目見たい!」と従姉妹たちと一緒に車で2時間半かけて

遊びに来てくれました。

 

何年か前に胃の半分を切除していて、すっかりと細身になっていた伯父。

母方の家系は耳が遠く、伯父も例外ではなく、補聴器をしていました。

 

伯父は耳の遠い人特有の大きな声で、ベビー君に「こんにちは!ベビー君

いやー、立派な男の子だ!いい顔しているね~、とニコニコしながら大きな手で

ベビー君の手を指でつまむような感じで握手をしてくれました。

 

そして、「ちょっと早いけど、これね!」とベビー君にポチ袋を渡してくれました。

 

ベビー君は何のことかわからず、ありがとうも言わず、もらったそのままの手で私の方へ「はいっ」と渡してくれて、一同爆笑したものでした。

 

ベビー君にとって初ポチ袋。

 

もちろん取ってあります。

 

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あの日から一年も経たずにお別れでした。

 

寂しいです。。。

 

この伯父の最期は見事でした。

 

夏頃、ふと、伯母や従妹たちに「私は12月にはいなくなると思うよ、、」と

言っていたそうです。

それが本当になってしまったと驚きつつも覚悟はできたそうです。

 

ただ、伯父は入院していたわけでもなく、元気に過ごしていました。

 

もちろん、高齢の身、足腰も弱っていて入浴の介助にヘルパーさんを週に2階、

お願いしていたようです。

 

亡くなった当日はいつものように朝起きて、食事をしていたそうです。

そのあと、伯母がちょっと伸びてきたから、「髪切ろうかね、、」とカットして、

ついでに体も拭いてあげたそうです。

 

伯父も喜んで「あー、ありがとう」と言ったそうです。

 

お昼になり、一緒にヨーグルトを食べ、ソファーに座りたいと伯母と二人でソファーに移動し、そうしてしばらく二人でテレビを見ていたら伯父の首がガクッとなり、伯母にもたれかかったそうです。

 

伯母は笑いながら、「あら、ちょっとー(笑)」と言ったけど反応がなく、、亡くなっていたそうです。

 

こんな素敵な人生の締めくくり方ってありますか?

 

愛する妻と二人、より添っているときに旅立つなんて。

こんなに愛のあるれる物語を聞いたことがありません。

 

でも、実話なんです。

 

誰からも愛され、誰をも愛した人です。

 

葬儀会場へ着くと、たくさんの写真が飾ってありました。

その脇に、「散歩へ行ってきます 16:00」と書いたクリアファイルと小さなショルダーバッグがありました。

 

いつも散歩に出るときは伯母が心配しないように、A4にメモを書き、出発時間を書いていたそうですが、ある時、紙に書いたつもりがクリアファイルの上に書いてしまったそうです。

(メモを書いてから出かけるなんて、頭はしっかりしているっていう証拠ですよね!)

 

一緒に飾ってあったショルダーバッグはいつもの「お散歩バッグ」だそうです。

そうか、伯父さん、お散歩に行っちゃったのかー。

 

悲しけれど、ほっこりして、和やかな空気の中でお別れをしてくることができました。

 

 

さて、実はこの伯父の他界については、さらに「ドラマのような展開」が待っていたのです。

 

伯父はこのように自宅で穏やかに最期を迎えたのですが、「自宅で亡くなる」という事は「不審死」扱いで警察が出動するそうです。

 

かかりつけの病院へ電話して、救急車呼んで、そしたら警察も来て、、家の中は騒然となったそうです。

 

実際に、検視もあり、家宅捜査も入り、通帳やら、ありとあらゆるものを警察が調べたそうです。

 

伯母曰く、悲しいと嘆く暇もなかったから却ってよかったのかな、などと言っていましたが、かなり手続きが面倒の様です。

↓ 

www.osohshiki.jp

 

悲しむ暇を与えない、これも伯父らしいかもしれませんね。

 

おーい、伯父さんー、今どのあたりまでお散歩に出ているの?

ちょっと、キララのところにも寄り道してちょうだいね。

 

 

 

 

 

 

またまた不妊治療に思いを馳せる・・(治療している事、カミングアウトする?しない?)

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お陰様で、先日、50歳になりました。

 

キムタク、倖田來未と同じ誕生日です。

↑年は違いますが💦

 

このネタ、セミナー講師をしていた時の自己紹介に掴みで良く使ってました。

意外と反応してもらえましたよ!(笑)

 

自身が50という事で、50という数字には敏感になります。

 

マックの50

https://www.mcdonalds.co.jp/campaign/thankyou50th/

 

それはさておき、

 

兼ねてから考えていた、誕生日当日のプラン、実行してきました!

 

 

【生まれた病院に行って記念撮影する!!】


両親と生まれた病院前で記念撮影!

都内なので、そんな気合を入れていくような場所でもないし、以前、勤めていた会社のオフィスがココだったので、そんなに珍しくもない場所ですが💦

両親と撮影!にポイントがありました。

私より両親のほうが感慨深かったようです。

 

しかし、この50年、それなりに色々ありましたが、ハイライトはなんと言っても、

ベビー誕生につきます。

 

一時期、

 

私は子供に恵まれる事なく、誰かしらパートナーはいても籍に入っていない関係で、

最後一人になる、

 

なんて、思い込んでいた事もありました。

 

ここまで大きな病気もせず、多少のトラブルは抱えつつも元気にこれまで生きてこられた事に、心から感謝です。

 

さて、50歳を迎えたタイミングで久々に友人N子さんとの再会を果たした時の事、

ご紹介したいです。

 

N子さんは新卒で入った会社の同期でした。

同じ会社にいた当時はさほど親しい間柄ではなかったが、お互い、その会社は退職しており、SNSで再会を果たし、実際に会ってみたら意気投合!!
退職後、15年後に親しくなった感じです。

 

そんなN子さん、ご主人のドバイ駐在に帯同、5年ぶりに今年春に帰国しました。

コロナもあり、なかなか声もかけられずにいましたが、緊急事態宣言も明け

是非会おう!となりました。

5年のブランク、、どこから話そうか、、

 

という事で、私の報告事項は以下、

 

①引っ越したのよー、都内から千葉の郊外へ

②犬を飼い始めたのー、フレンチブルドッグハナコさん♡

③子供が生まれたのー、今2歳、男の子!

 

と、ここで

 

ええええええぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ、聞いてない!!!!!!!

 

となり、ました。

 

そりゃあそうです、、、

 

不妊治療」をしていたことなど、話せずにいたし、治療中も、妊娠中も「いつダメになるか、、」と期待しないで生活していたので、よっぽどそのタイミングで会った友人以外には妊娠のことも告げていないし、ましてや、出産したことも、どうお知らせしたものか? タイミングわからず、、

とりあえず、年賀状やっている方には、年賀状でお知らせしました。

 

 

なので、このどちらにも該当しないN子さんには報告するきっかけがないままでした。

 

と、いうのも、一度彼女と、まだ40代前半の頃に「子どもについて、聞いてもいい?

うちはいいかな、って感じ」という会話をしていて、それ以上、深堀せず、私がその時、不妊治療をしている」とは言えなかったのでした。

 

 

N子さん、驚きが半端なかったようだけど、「良かったね、おめでとう!」と言ってくれ、「治療してたの?」と。

 

私は、ざっくり、「一度流産したのをきっかけに治療を始めて、4年くらいかかってね、、」と話したところ、意外な反応がありました。

 

N子さん、「実は私も治療をしていたんだよ。3年くらい、、加藤レディースクリニックにいってたの。夫のベルギー駐在から戻った後、ドバイ駐在までね、新宿にある加藤レディースクリニックに通ってたんだ・・」

 

今度は私が、ええええええええええええ!と驚く番です。

 

恐らく通院時期は重なっていて、もしかしたら同じ日に通院していたかもしれません。

 

私は、「そっか、そうだったんだね、、私も加藤に通ってたよ。結局、加藤から治療を止めることを勧められて、同じ系列のところ(新宿ART)へ行ったんだよね。」

 

N子さんは、「あの当時は、人に話せなくって、、まして、私は専業主婦だったから周りに伝える必要もなくってね、、あんまり辛くって、よく母に泣きながら電話していたのよ・・キララにも話せばよかったね、、そうしたらもう少し、前向きに、治療できたのかもしれないなぁ、、ああ、でもやっぱり話せなかったかも!」と。

 

そして、N子さんは「駐妻ってさ、夫の会社のコミュニティー子供関係のコミュニティー趣味のコミュニティー、って大まかに3パターンあるんだけど、私の場合、子供がいなかったから、あまりコミュニティーが広がらなくってねぇ、辛かったなぁ。。

だから、よく一人旅行に出かけてたのよー。優雅とかなんとか言われるけど、やることないのよ、それぐらいしか。ドバイにいるのに、ずっと韓流ドラマとかを見ていたり、、(苦笑)」

 

そして、「いやー、ベルギーの前は、ヒューストンだったんだけど、ヒューストン時代はさ、もっと若かったから、子供服をたくさん買ったりして、名前まで考えていてね、

男の子なら薫(かおる)、女の子なら玲と書いてあきらにしようって決めてたのよ。

そう、男の子だったら、女の子にも通用する名前、女の子だったら男の子みないな名前って。私、自分がN子でしょう、なんか平凡な感じのは付けたくなかったの。ってこんな話、されても困るわねぇ。。」

 

と続けた。

 

不妊治療していることって、なぜ、人になかなか相談できないのか?

 

N子さんにも問いかけてみた。

 

・自分が「不妊症」というのが欠格者みたいなイメージなのかな。

・夫にも「問題がある」のでは?という印象を持たれるから

・可哀想という変な同情は余計つらくなるから。

・治療費が高いので、「お金持っているいる」と思われ、「治療が受けられるなんて羨ましい」と言われたことがある

・要は、「子作り」の話で他人にその方法まで明かす必要はない。

・治療している、という事で「期待されてしまう」のが精神的にキツイから

 

という話になりました。

 

確かに、そうなのです。

私、全部当てはまります。

私の場合はその当時、仕事をしていて上司や回りの方に理解を得る必要があったので、治療のことは伝えました。

まぁ、治療開始後、このまま継続するには仕事(社員として組織に属しての仕事)は無理と思い、辞めているのですが。

 

治療していることで、どこか「期待」をしていて、でも辛くて、、でも誰かに言いたくて。。

 

治療しているもの同士、ではちょっと比較しちゃったり、勝手に傷ついたりしちゃうかもしれない、、

 

難しいですね。

 

でも、私の経験からきっとメンター的な方がいるほうが、少し冷静になれます。

悩みというか、ストレスのはけ口をスポーツに求め、そして鍼灸治療に出会い、メープル先生に文字通り「心身ともに治療」していただいたのが本当に大きかったです。

 

今、まさに治療されている方、メンターを持つことをお勧めします!

私の場合はメープル鍼灸院の先生でした。

 

東京・荻窪の不妊・逆子治療 メープル鍼灸治療院

 

出産し、治療は卒業しましたが、今でもメンテナンスに通っています。

次回は今週金曜日!!

 

ストレスでガチガチな体を緩めてきますー。

 

 

 

ベビー君と初旅行

 

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ハロウィン、終わりましたねー。

って言う事は、10月も終わってしまいました。

選挙も終わりましたねぇ。。

 

10月にブログ2回更新の目標達成できず…。

これ、会社だったら”どやされる”ところですね。

 

もっとも、今の世の中、パワハラとか言われちゃうから、優しく、

来月は頑張ろうねー』なんて、上司は奥歯を強く噛み締めながら、テーブルの下で

拳を強く握りしめながら、、でもひきつった笑顔でフォローするのでしょうか。。

 

管理職は大変です。

→妄想から、の過去の回想。。(笑)

 

さて、10月は中々アクティブな月でした。

 

と言うのも、『緊急事態宣言』が明けたので、2年ぶりに孫の顔を見せる為、

夫の両親のいる福岡・太宰府まで一泊2日の弾丸で行ってきたのです!

 

ベビー君、『初・飛行機』、『初・九州上陸』です!

 

そして、そして、私にとっても初めての『子連れ旅行』。

それなりに緊張しました。

 

そんな私を他所に、、夫は自分のしたい事ばかり口に出し、、

何度、『あー、やめたやめた!!!行くのやめた!!アンタひとりで行け!!

と叫びくなったか。

 

最寄り駅発着の空港行きバスに9:10に乗り、羽田に10:30、

チェックインして、、搭乗時間は11:35。

 

初っ端から、凄いタイトでした。

 

ベビーカーで移動していたので、エスカレーターではなく、エレベーターを探しながらの移動、ちょっと一服コーヒーでも飲みたいが、時間がない

 

搭乗前にちょっとトイレに行っていたら、『優先的に搭乗』できるタイミングを逃したようで、夫に嫌味を言われたり、、

 

ご主人が積極的にお子さんを抱っこして移動している他のご家族が心底、本当に心底

羨ましく思いました。

 

謙遜する奥様方、、『ウチのは人前だけね、、』とか、、

でも、いいじゃないですが、人前だけでもやってくれるのなら!!

 

そんな私の窮地を悟ったかのように、ベビー君は思いの外、落ち着いていて、

マイペース!騒ぐ事もなく、道中ニコニコ😊

 

試練だと思っていた機中も、拍子抜けするほど『いい子』でした。

 

問題は、2歳の子供の扱いについて、CAさんがまちまちの指示をしてきた事でした。

 

CA①『離陸して、シートベルトサインが消えるまで、シートベルトでしっかり座らせてくださいね。』

 

はい!!

ベビー君はしっかりとシートベルトして正面向いてちょこんと座っておりました。

 

すると、CA②が、思い切り眉間に皺を寄せて、近づいてきて、

『あのぉ、お子さんは何歳ですか?(2歳です、と答えてます)』

 

ふぅ、、と溜め息まじりに 

『お子さんはしっかり抱っこしてください』と言ってきた。

 

まるで『マナーを知らないバカ親』扱いです。

 

え?抱っこですか?

車のシートベルトとは違い、肩から固定せず、ウエストだけのベルト…

子供とベルト内に収まるのは無理なんですが…

抱っこひもで自分の体に密着しているのであれば、分かりますが、、

 

『シートベルトのサインが出ているときはしっかり抱っこしておいてください!』

だそうです。

 

私は、何のためにベビー君の分のシートを予約してのか…とちょっと不満でした。

 

2歳で体重、約14キロ。

そして、まぁまぁ背もある。

 

赤ちゃんに間違えられての指示ではないと思うけれど、従うしがありません

 

朝早くから起きていたので、離陸前にはベビー君は抱っこされたまま寝てしまい、

私はシートベルトサインが消えてもベビー君を抱っこをしたままです。

 

すると、CA③が『お客様、お子様は何歳ですか?』

 

…2歳です。

て、これ、何回聞くかね、、。

共有されていないのかな?チェックインカウンターでも、予約の時も2歳って登録しているよね!!

子どもは重いし、子供の寝汗で私の方は濡れているし、、なんだかイラッとする!!

 

すみませんでした。2歳のお子様でしたら、お母様の抱っこでなくても問題ございません。お隣のシートでベルトしていただければ大丈夫です。』

 

ですって〜💦 

 

CA②に対しては怒りが込み上げてきます。

丁寧にやさしく言われたならまだしも、ちょっと呆れた感じで言われた私は何だったのか??本当に失礼な方でした。

 

程なくして、飲み物が配られる時間になりました。

 

朝からコーヒーが飲みたかったので、アイスコーヒーをお願いしました。

 

すると、

 

『お客様、大変申し訳ございません、、アイスコーヒーはなくなってしまいました。』

 

じゃあ、ホットコーヒーで。

 

『お客様、恐れ入ります、、小さいお子様がいらっしゃるので、温かい飲み物はご提供できないのですが、、』

 

…  何と!!

乳飲み子がいて、熱いものを飲んでいる時に機体が揺れたりしたら一大事ですね。

 

これは、ごもっともな話です。

 

そしたら、、、リンゴジュース?

… いや、欲しくないし。

 

んー、じゃあ、お水下さい。

と、小さいペットボトルのお水をもらいました。

 

私としては、コーヒーを楽しみにしていたので、正直、ガッカリでしたが、

納得しました。

アタシはわからずやではないので(多分、、)、理路整然と言ってもられば、

理解しますよ!はい。

 

と、そんなやり取りをしている私を尻目に夫が悠々とコーヒーを飲んでます💢

 

同じ、3人掛けの列に座っていてなんでだー???

お父さんは良くてお母さんはダメって。。

 

ここに、日本社会のダメなところが出ていますよね。

 

なんで、『子供の面倒を見るのは母親』って決めるつけのか?

 

CAも女性。

同じ女性がそうきますか!!

(私は常々女の敵は女だと思っています)

 

なんか、こう言うシーンで、まだまだ『男女平等』というところの『意識改革』は

できていないのだな、と痛感します。

 

女性=子供の面倒を見る

 

・・日本はまだまだですなぁ…

海外だと、率先してお父さんが子供を抱っこしたり、ケアしているのをよく見ます。

 

さて、一泊二日の弾丸帰省、、

なぜ弾丸だったか、というと、

 

ハナコさんを預けなくてはならないから最短での旅行にしたい

 

②義理の両親人を泊めるのはシンドイということで、宿泊できないと断られたから

 

③夫がケチなので

 

 

については、我が家のハナコさん、単独でお泊りしたことがなく、心配だったのです。これについては、ハナコさんに甘い、夫も同じ意見でした。

近所のかかりつけの動物病院でお泊りでき、お散歩もしてくれるというので、安心して預けました。

 

※初日、朝の8:50に預け、翌日夕方7時のお迎え、、ほぼ2日です。

※2日間の間に、グルーミングと健康診断(血液検査)を一緒にしてもらいました。

 

人間でいう一泊の人間ドックにいったようなものでしょうか。。

合せて、かかった費用は14000円ほどでした。

あまり比較していませんが、リーズナブルだったと思います。

 

について、残念ながら、義理の両親ですが、相当ボケてきていて、

片付けもままならないそうです。これは、無理させてはいけないので、

近くの温泉宿を取りました。

 

当然、ベビー君初訪問だったので、お宅へ伺いましたが、玄関に草が生えていて、

裏庭も背の高い草が生い茂っていました。

 

いつもきれいにしていたのに、、

 

これは相当ヤバイです。

夫に、庭が荒れている部屋が乱れている、は危険なサインだからね!

と脅しておきました。

 

誰も訪ねる人もなく、コロナでより孤立化した義理の両親。

嫁の口からは言えないから、夫に「ベビー君、これからイベント目白押しなんだから、

ボケてる暇ないからね」と言ってもらいました。

※言葉がきついかもしれないけれど、激励のつもりです。

これから、幼稚園入園、七五三祝い、小学校入学などなど、本当にボケてる暇ない!

ですからね。。

 

について、宿泊代がかかるのなら一泊でいい!という夫。

確かに、滞在中は、食事代もかかってきます。

 

本音を言うと、私も観光なしで、義理の両親と過ごすのはきついです。

長居したくないので、初の子連れ旅行、私にとって、そして、ハナコさんにとっても、ベストだったように思います。

 

この弾丸ツアー、言うまでもなく、疲れました。

よく考えると、福岡空港に降り立って24時間後には、帰りの便に搭乗!

無茶苦茶弾丸!!

 

やってやれないことはないんですね、、と感心する一方で、

帰った翌日はベビー君と二人でびっくりするぐらい寝ていました。

 

ベビー君もお疲れ様でした。

 

また、一緒に飛行機乗ろうね!

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高齢ママだけど、体力維持してあちこち出かけたいなぁ、という意欲がわいてきました!

 

もうすぐ50歳!

(あと10日です。。)

 

当日には何を思うのだろうか、、。

 

またその時の心境をブログに書きたいと思います。

 

 

 

元気です!「不妊治療」に思いを馳せています②

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大変、大変、ご無沙汰しております。

 

元気にしております!!!

 

気が付いたら前回更新から相当な時間が経過しており、10月に入ってしまいました。

恐ろしい・・・

 

オリンピック、パラリンピックも終わり、なんと緊急事態宣言も解除されているし。

久々に買い物に行ったら、ハロウィン仕様にディスプレイされているし、、

 

夫の長い長い、テレワークも終わり、今日から出社しています。

と言っても、隔週での出社ですが、正直ものすごく開放感でいっぱいです。

 

だからこそ、こうしてブログが書ける!
(正確には、書く元気が出てきた~!!)

 

そうだ、こんな時こそ・・・

 

時を戻そう!

 

って、あれ? もう古いですか??

 

さて、ベビーくんが生まれて2年経ちました。

私、40代最後の日々を過ごしております。
(来月で50歳になります)

 

実はなかなか断乳?卒乳?できずにいて、50歳になる私は沢山栄養補給すべく、

毎日6食くらいモリモリ食べています。

 

50になる私と2歳の息子。

 

綺麗にしていないと、若いおばあちゃんと孫に見えるだろう。。

 

なので、白髪染めをし、マスクしているけど、しっかりアイメイクを施し、

ピアスもつけ、少しでも「キチンと」しておこうと心掛けています。

 

そう、私の唯一の自慢?は若見えなので(図々しくてスミマセン💦)、

せめてその部分は維持したいですよね。

あと、頻繁にZoomの打ち合わせも入るので、急な対応にも困らないように、

朝、しっかりポイントメイクと髪を整える、、これ、大事です。

 

さて、元気にこそしてはいますが、有名人の方の懐妊、出産、流産、不妊治療ネタのネット記事を拝見したりする機会が多く、特に、どなたの記事が、という事ではありませんが、ハッピーなお知らせもあれば、そうでないお知らせもあり、他人事ながら、

胸がぎゅーーーーーーーーーーーっとなり、感情が揺さぶられてしまいます。

 

私は、かつて、不妊治療をしていた自分の経験を活かして、サポートしたい、何かしらでお役に立ちたい、なんて思っていた時もありましたが、時間がたつにつけ、実はその経験がとっても心に重く残り、少しトラウマのような感覚になっています。

 

思い返すと呼吸が浅くなってしまい、文字通り、とても苦しくなってしまいます。

とても、感情的に強くいられないので、カウンセラーは無理かなぁ、と思っています。

 

そんな状態ですが、

現在、オーストラリアで不妊治療中の妹から、先週、こんなLINEがきました。

 

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これを読んだ私、なんという言葉を書けてよいのか、、、

 

・・・悩みに悩んで、こんな返しをしました。

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真意として、着床していなければ、生理が来る、という体のサイクルで、判定日に生理になるのは周期が整っていると解釈できると私は思っています。


だからと言って、体外受精卵を移植した後に生理が来ることは、全く喜ばしいとこではないのは十分承知しています。

 

とは言え、私の経験上、判定日に血液検査し、まったく数値が出ていないのに、生理も来ていない、、で次の診察するにも、D3から、という事で、生理待ちなのも精神的にしんどかったです。

 

加えて、生理がきていないことで「もしかしたら、着床が遅れているのかも?」、「血液検査の数値が間違っているのかも?」などと、勝手な根拠のない期待が生まれてしまったり、、、

 

でもやっぱり生理はやってきて、遅れてきたときに限って生理痛が重かったりして、、

そんな追い打ち生理よりかは、良いのではないか?

 

・・・・ どうでしょうか?

 

あまり、妹へのサポートにはなっていないのかもしれないけれど、

残念」という言葉を使いたくなかった、「頑張れ」も使いたくなかった、

でも、軽く流すのもできない、、

 

なかなか難しいですね。

 

その妹ですが、凍結している胚盤胞まで育った受精卵、2個あるそうです。

身体の準備が整い次第、またチャレンジすると言っていました。。。

 

 

妹をはじめ、今、この瞬間にも不妊治療と向き合っている皆さんへ、

だたただ、思いを馳せることしかできないけれど、、

 

心から応援しています!!

 

 

 

追伸:次回は「月内に更新」を心に誓いました(笑)

 

 

 

遅ればせながら、御礼詣りしました

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今日、2018年1月まで住んでいた場所へ行ってきました。

 

厳密に言うと、仕事で元自宅の近くに行くことになり、少しだけ足をのばして

かつての自宅』まで行ってきました。

 

そこは、28歳から46歳まで住んだところです。

 

仕事盛り、女盛り?の頃でした。

(自分で言うなって感じですよね、失笑)

 

色々と思い出がありすぎて、思いが詰まりすぎていて、

なかなか来られなかった場所です。

 (今住んでいるところから1時間程度、しかも、妹の自宅の近所、親のマンションと目と鼻先の場所、来る機会はいくらでもあったのに、、(-_-;))

 

その、『かつての自宅』と、ちょっとだけ身構えて、

駅を背に西側へまっすぐ、坂を下って行きます。

 

某桜の名所の川を越え、某大通りと交差している交差点まで来ると、そこが長く続く坂道の折り返し、今度は上り坂になります。

 

あの頃は、この坂道を8センチヒールで大股かつ、ガニ股でガツガツ歩いてました。

170センチ近くの長身に、ハイヒール、なかなかの迫力があった筈。

 

仕事での嫌なことなどを振り払うかのごとく、ガツガツ、ガニガニ(笑)

夜道をいつも月を探しながら上を向いて歩いてました。

 

かつての自宅』、外観は変わってなかったです。

 

でも、干されている洗濯物がウチのじゃない… 当たり前ですが。

 

カーテンも違うみたい… 当たり前ですが。

 

ぐるりと周りを歩いてみると、新しくアパートが2棟、建っていました。

 

あれ?ここってなんだった?

 

たった3年で元近所が変わっている!!

 

あー、この公園でハナコを散歩させたかったなぁ。

 

あー、この保育園にベビーは通ったのかなぁ?

 

なんだか本当に『都落ち』したなぁ、、

 ふっと悔しく、情けない思いが込み上げてきてポロっと涙が溢れました。

 

なんで私は『ここ』にいないんだろ?

 

なんで私は『ここ』にいられなかったんだろう?

 

ここ』が終の棲家となると思って、仕事も頑張っていたのに、、、

 

白昼、住宅街で涙している変なオバさんです。

 

また、空を見上げました。

 

今日、見上げた空はこんな感じでした。

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でも、『ここ』を引き払ったから、ハナコと一緒に生活することができてベビー君にも会えたんだよね。

 

そう、、きっと、何かを手離さないと手に入らないものってあるんですよね。

 

あのまま、ずっと『ここ』に住んでいたら、大切な2人の『子供達』に出会えなかったんだよね。

 

・・・ふと、何か忘れている事に気がつきました。

 

かつての自宅』近くに、氏神として住んでいた長い間ずっとお詣りしていた

神社があるのですが、毎日、神社の前を通る時にペコっと頭を下げて「お願い事」

をしていました。

 

家族の健康、そして、いつかきっと授かります様に、と、いつもいつもお願いしていた神様です。

 

なんか心に引っかかることがあると思ったら、罰当たりなことに、この神社に『御礼詣』をしていなかったのでした。

 

授かったのは引越しだ後だったので、御礼をする、と言う事が頭になかったのでした。

 

・・とは言え、あれだけお願いしておいて、それはないですよね(-。-;

 

今日は、絶好の御礼参りの機会です。

 

お賽銭を入れ、二礼した時にまたまた涙…。

 

様々な思いが込み上げてきました。

 

春夏秋冬、暑い日も寒い日も通院し、その度に手を合わせ、神頼み

 

本殿の前で立ち尽くした日もありました。

43歳の時に妊娠が分かり、喜んだのも束の間、結果、妊娠を継続できなかった時です。

 

夫に暴言を浴びせられ、家を出てウロウロ彷徨った挙句、行くところがなくて、石段のところに座り込んだ夜もありました。

 

姪っ子と甥っ子の七五三をここでやりました。

 

夫の厄払いもここでやりました。

 

夏にはお祭りがあって、ジャスフェスも夫と聞きにきました。

 

酉の市では、熊手を買ったり、、

 

時系列バラバラですが、本当にこの元地元のこの神社では色々な思い出があり、たくさんお願い事をし、時には恨み言を言い、、まさに心の拠り所だった場所です。

 

思い切って、足を延ばし、自分の中の「邪念」というか、どうしようもない、無駄な「執着心」がドロッと出てきて、涙し、自分と向き合って、さらには「大きな忘れ物」を見つけ、片付けられた事は今日の大きな収穫でした。

※感情的には忙しい一日でした。

 

久々にブログを覗いてみたら、陰ながら応援していた方の嬉しいご報告を拝見!

 

えーー今日は何の日??ってくらいよくできた一日でした。

 

最近、忙しさにかまけてなかなか更新できていなかったブログですが、

やっぱりブログ、大事な自分と向き合う「場所」の一つなんだな、、と

改めて思いました。

 

遅ればせながらのお礼詣り、そして、遅ればせながら新年のご挨拶、、

 

色々と大変な世の中ですが、皆様、今年もよろしくお願い致します。