不妊治療振返り①治療への一歩
3年前の5月、私たち夫婦は「不妊治療」への道を歩み始めた。
私は44歳になっていた。
ここで、「私」について少し補足。
「私」は、24歳で一度目の結婚をするも、仕事に没頭するあまり、異動・転職を繰り返し気が付いたら当時の夫とは12年も別居生活。元夫とはこれと言って喧嘩もすることなく、お互い仕事中心の生活、ある時、元夫がNYへ駐在となり、さらに五年後ビザの更新で日本へ一時帰国した際に、これからのことを話し合い、「円満離婚」に至る。この時、私、39歳、子供なし、慰謝料なし(笑)
そして今の夫と知り合い、41歳で再婚。
これまで仕事ばかりの生活(自称キャリアウーマン)、年収もかなりあったが、残業もかなりある生活。前の結婚生活?(ほとんど一緒に住んでいないから適切ではないかも、、)の反省から、せっかっく結婚したのだから、「まともな結婚生活」を送りたいと思い、プロジェクト終わりを機に思い切って退職。「憧れの専業主婦」生活突入。
半年何もせず、主婦生活を堪能するも、つまらなくなったこと、また、体さえ整えれば、子供はできるはず!という思い込みから、運動したり、適度な仕事が必要ということで、学生時代にやっていたテニスを20年ぶりに再開、週4日の契約社員として事務の仕事を始める。
その他、本音として、これまで仕事人間、友達は過去に知り合った友人たちのみ(学生時代の友達、過去職場)、毎日、軽口をたたいたり、あいさつを交わす友達はいないのは正直、寂しかったのと、毎晩仕事で遅くなる夫に対し、少なからず対抗心もあったし、社会とつながっていたいという欲求は常にあった。
この頃から卵管造影剤を入れて卵管の掃除、排卵チェッカーでタイミングを調べ夫に協力をしてもらう、を頑張って続けていたころ、妊娠!この時、43歳。
この喜びも束の間、心拍が確認できず。
診察をうけていた病院でドクターに「どうしてでしょうねぇ、、いったい何があったの?」と聞かれ、知りたいのはこっちだよ!!!!!とショックを受けている中、あまりにも配慮のない発言にこの病院は信頼できない、と結論を出す。
因みにそこは、目黒区にある大きな病院で「たまごクラブ」にも日本産科婦人科学会認定婦人専門医のいるクリニックに掲載され、そのドクターの写真、名前もばっちり掲載されているのに!ありえない!所詮広告なんだなということと、産科婦人科は「不妊治療」の専門ではない、ということがよく分かった。
この時に、「自分には妊娠する力はまだある!」ただ、「自己流」ではもう手立てがない、「プロの力を借りよう!」ということで、「治療専門」の病院・クリニックを探すことにしたのである。
そこで、いろいろと調べた結果、「東邦大学大学医療センター大森病院」のリプロダクションセンター(婦人科)で「看護師による不妊相談外来」があることがわかり、申し込み、カウンセリングを受けた。担当は不妊症看護認定看護師の永野妙子さん。
カウンセリングでは当時、せっせとつけていた基礎体温表を持参し、これまでの経緯を聞いたいただいた。
不妊症看護認定看護師の永野妙子さんは穏やかに話を聞いてくれ、基礎体温表も見ながら、高温期と低温期、しっかり分かれているし、生理もきちんと定期的に来ているから治療で後押ししてみましょう、といったような話をしてくれ、前向きに治療へ進む決意ができた。
夫ともカウンセリング内容を共有、治療にかかる費用についても確認(他の病院よりは少し安い)https://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/repro_f/patient/price.html
し、病院主催の説明会へ足を運ぶことにした。
いよいよ本格治療への第一歩を踏み出したのでした。